626-650


 だらだらぶん650
  消しゴム 

  • 【2004年1月10日ぶん】

    最近のヒトにはよくわかんないかもしれないが、
    ボクがはじめに出会った「消しゴム」は「ゴム」だった。

    で、この消しゴムはあんまり消えなかった。

    消しても跡が残って、まあ、
    上から別の字を書くことに問題はないのだが、
    修正とはすなわち、紙を汚すことだった。
    (チカラを入れすぎると、破くこと…だったりもした)

    小学校時代の途中、プラスチックの消しゴムが急に普及した。
    これは驚きだった。カンペキに跡が残らない。
    ボクらは、ゴムの消しゴムのことを一瞬にして忘れていった。

    消しゴムがいい匂いを放ち、
    スーパーカーやキャラクターのカタチをするようになると、
    鉛筆はシャープペンシルに変わって、
    何本も鉛筆を持つ必要もなくなっていく。

    すると、消しゴムを持つことさえ、億劫になっていった。
    たまに消すときは、キャップをはずして、
    そこについている(なぜか消えの悪いゴムの)小さな消しゴムを使った。

    そのうちシャープペンシルすらあまり使わなくなり、
    ボールペンで書き損じたときは、斜線を二本引けばいい、と気づく。
    大切なときは修正液を使う。
    修正液は紙を汚し、いつだったか同じようなことがあったと思い出す。

    ワープロのデリートキーは、間違いを跡形もなく消してくれるが、
    それは「間違った」ことの苦さも消してしまい、あとに何も残さない。
    それがちょっとさびしい、とすら思わなくなった今日は、
    また誰かの消しゴムで、遠い昨日に消えていくのだろうか。

    あのころ、ボールペンで書いた間違いは、
    砂消しという細かい砂の混じった消しゴムで消した。
    わら半紙だと、やぶれる確率は50%以上だったと思う。
    破れたら、また一から書き直す。
    そのめんどくささを、なぜか妙に懐かしく思ったりするのだ。
    だらだらだぶん

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 だらだらぶん649
  残っていく名前 

  • 【2004年1月9日ぶん】

    隅田川にかかる「言問橋」という橋がある。
    言を問う橋…という、なにやらいわれのありそうな名前。
    で、調べてみたら
    在原業平の詠んだ「名にし負わば,いざ言問わん都鳥」の古歌に由来しているらしい。

    地名には、たまにこういう「絵の浮かぶ」名前があっておもしろい。
    坂なんかにも多いね。暗闇坂とか。

    橋とか、坂とか、どこかからどこかへ行く分岐点になるような場所は、
    きっとドラマが生まれやすいんだろう。
    出会ったり別れたり…。
    ただ通るだけではなく、そこで立ち止まって考えたりする。

    「言問橋」という名前には、
    そういう『意味』のおもしろさとは別に、響きのおもしろさもある。
    kototoiの「k」と「t」のはじけるような響きの連なりと、
    「o」がふたつ続いて「i」で肩すかしをするところ。
    そのあとの「bashi」の「a」で、いったん展開を見せてから、
    もういちど最後に「i」にもどる。よくできている。

    偶然といえば偶然なのだが、こういう名前は記憶に残る。
    たぶんいろんな名前が、生まれては消えていく中で、響きで残っていく。
    ただの文字の羅列に命を与えているかのようである。

    最近の「名前」には、偶然でもコレがない。
    六本木ヒルズとか、カレッタ汐留とか、半分横文字にするのもいいけど、
    どうしてこういう「音」を考えないんだろう…。
    音だけではなく、絵も浮かばない。
    やっぱり昔の人の方が、偉かったようである。だらだらだぶん

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 だらだらぶん648
  響き 

  • 【2004年1月8日ぶん】

    「ラストサムライ」の
    「さムラい」の言い方が気になってしょうがない。
    日本語を英語の中に入れたときの言い方。
    英語としての日本語みたいなやつが、すごく妙だ。

    「サヨナラ」というコトバは、
    外国の人が聞いて、響きがキレイなんだと聞いたことがある。
    「サムライ」も、きっと、いろんなコトバの中では、
    英語に混ぜても、比較的問題のない響きなんではないかと思う。
    もちろん「タナカサン」とか「シャチョサン」に比べて、というレベルだが…。

    逆に日本語の中に英語を混ぜる…ってのは、もう当たり前で、
    それはそれで、当然あっちの人が聞いたらヘンなんだろうが、
    日本人も、もっと「混ぜてもいいコトバ」を響きで選んだ方が
    いいのかもしれない。

    今のようになんでもかんでも取り入れちゃう、
    寄せ鍋のようなコトバだと、いまに比率が逆転しちゃったりして、
    日本語が言語として、ちょっと恥ずかしいものになっちゃうかもしれない。
    ちょっとヤである。
    外資系の会社の人とか、すでにそうなってるような気もするが…。

    「声に出して読みたい日本語」とかいう本。
    興味もないので手にとったこともないけど、
    たぶんそういうこと、気にしてるんだよね。知らないけど。

    新しいコトバ、とか、おもしろいコトバ、とか、
    みんな意味ばっかり追っかけてるけど、
    昔の人はもっと響きを楽しんでた気がする。
    今、そんな余裕がないのが、少しだけ悲しい。だらだらだぶん

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 だらだらぶん647
  視線のゆくえ 

  • 【2004年1月7日ぶん】

    基本的に「眼」はモノを見るためにあり、
    寝ているとき以外、休むヒマなく働いてくれてるものです。
    ところが、たまーに、この「眼」を必要としないときがあるんですね。
    さて、それはいつでしょう。

    (考える時間5秒)

    まず思うのが「見なくていいものが前にある」とき。
    ああ、見ちゃいけない…という場面に遭遇したときですね。
    上司の不倫現場とか、いや、逆に思いっきり見ちゃうか。

    恋人がくしゃみをした瞬間、ハナがたれちゃったとき…とか。
    そういうときの眼は、不自然に動きますね。ゆらゆらと。
    不思議と、つぶったりはしないもんです。
    見てるんだけど、みてないように動く。
    まるで行き場を失ったエキストラみたいにね。
    次何するんだっけ…みたいな。

    でも、もっと顕著に眼が仕事を失う時があるんですね。
    これが「トイレの中」です。驚いたことに…。

    行動というやつは、だいたいにおいて、まず眼の動きが先導して、
    それを追うようにカラダが動く…。
    ところがトイレでコトを行うときは、
    眼は何も先導しなくていいんですね。
    働いているのは下半身だけ。

    そういうとき、眼がどうするか、というと、
    やっぱりゆらゆらするんですね。
    遠くを見ようともするんですが、いかんせん前には壁しかない。
    そのとき視線は行き場をなくして、すごくさびしそうにするんです。
    なんだか愛おしいですねえ。

    だらだらだぶん

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 だらだらぶん646
  おせちにあきたら… 

  • 【2004年1月6日ぶん】

    季節感がどこにも見あたらなくなった今日この頃、
    クリスマスとお正月と入学シーズンだけは、
    妙にはっきり季節が出るんですよね。CMの場合…。

    正月はハウスとフジカラーですね。
    しかし、これももう何年も変わらない。
    おせちに飽きたらカレーを食べて、お正月を写してる。
    正月らしい、新しいCMって、まったく生まれないっすね。

    正月のテレビのこと、さんざん言ってましたけど、
    正月のCMも、代わり映えしないっす。

    最初は、おせちもいいけどカレーもね。と言われると、
    なるほどなあ。と思ったもんです。
    だけど、いまどきは、選択肢がありすぎて、
    別にカレーに頼らなくてもいいもんねえ。
    店も元旦からやってるし…。
  • もともとおせち料理って、正月に作らないで、
    のんびりすごすためにあるんだけどね。
    今どきは外食すればいいじゃん。って話ですから。

    ちなみに今年のウチは、3日にラーメン博物館に行ってしまいました。
    家族で…。
    すげー混んでた。

    ちなみに今、むしょうに吉野家に行きたいですね。
    牛丼、なくなっちゃうと思うと、急に会いたくなってしまって…。
    ぜんぜん関係ないっすけどね。だらだらだぶん

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 だらだらぶん645
  お詫びと訂正 

  • 【2004年1月5日ぶん】

    なんか、紅白は過去最低の視聴率だったらしいですね。
    やっぱダメなんですねえ…。
    かたやTBSは過去最高で、サップ戦んときは30%くらいいってたらしい。
    猪木はダメダメで、プライドは検討…。
    こうなると、今年の暮れは怖ろしいですよ。
    テレ東がみちのくプロレスとかやるかもしれん…。
    今回のT-1とかいうマジックのバトルもなかなかキワモノでしたが。
    もうアレですね。
    大晦日のTVに何かを期待してはいけない…ってことですね。
    つーか、TVというものの役割がもう変わっちゃったんですね。
    暮れの特別感がスキだったんですけどねえ。

    あ、そうそう。今年はゴールデンウィークが長いみたいですよ。
    30日休めば7連休。…待ち遠しいですねえ。
    だらだらだぶん

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 だらだらぶん644
  世界の中心で叫んでみた(というか愚痴) 

  • 【2004年1月4日ぶん】

    みなさんはどう思いました?大晦日のボブ・サップvs曙戦。
    まあね〜…予想どおりといえば予想どおりなんですけど、
    見ててちょっと悲しかったですよね。曙はね…。
    パンチ、一発もガードしてなかったもんね。
    そりゃムチャというもんでしょ。いくらうたれ強くても。
    自分のパンチはパンチじゃなかったしね。張り手だし。
    いくらなんでも、準備期間が短すぎますよね。
    わかっててやらせてるまわりが悪いですよね。

    だいたい、あんまりですよね。民放各社。
    格闘技ばっかり持ってきて。見る方をナメてるよね。
    結果、紅白がすごくがんばってるように見えました。
    企画モノに走りすぎてて、寒い感じは否めませんが、
    昔のように、みんなの好きなモノが共通じゃなくなってる今日この頃。
    世代を通して、番組をひとつにまとめること自体ムリなのに、
    なんとなく、バランスの取り方がわかってきたような…。
    まあ、このへんがベストなんでしょうね。これ以上はムリなんでしょう。

    それにしても昔はもっと特番にありがたみがあったよね。
    暮れも正月も、焼き直しの企画と、再放送ばっかで…。
    番組作る方は、そうとうつらい時代なんだと痛感しましたね。
    というか、もう投げてるように思えました。

    と、いうふうに、けっこうテレビばっか見てた正月だったんですが、
    それでも正月休みはいい。だらだらこそ正月の真骨頂でしょう。
    やっぱね。正月は年に4回くらいあるべきですね。

    本来、この、1月4日という日は、一年を通しても、
    一番キライな日かもしれません。
    日曜の夜の憂鬱な気分を15倍にしたくらいの…。
    だけど今年はなんだか吹っ切れましたね。
    3日くらいでツライ気分はMAX になって、4日はもうオマケみたいなもんで。
    なんだか無我の境地ですね。
    …というくらい、やっぱツライということかもしれません。

    今年はもっとだらだらしていたいですねえ。
    もっとだらだらさせてください。と、いろんな人に
    世界の中心で叫びたい気分でした。だらだらだぶん

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 だらだらぶん643
  賀状 

  • 【2004年1月3日ぶん】

    年賀状。
    もうこの人には出さなくていいかな…と思って出さないと、来る。
    やっぱ去年もらってるし出しておくか…と思って出すと、来ない。
    この現象を、年賀状スパイラルと呼ぶ(呼ばない呼ばない)

    最近は、賀状をメールに変える人もいて、これがまたややこしくしている。
    いやいや、そのことをどうのこうの言っているわけではないんだが、
    さて、じゃあこっちは出さない…というわけにもいかないのがむずかしい。

    そもそもこの時代、年賀状というシステムそのものをギモンに思う人も多く、
    いっそ全員やめちまったほうがいいんではないか。という意見もある。
    それもわからんわけではない。

    実際、ホントに義理だけの賀状(売ってるやつにワープロで宛名書きしただけのやつ)
    ってのは、もらうことと、もらわないことの意味の差が、ほとんどない。
    まあ、どこか遠くで生きてる…ということの確認にはなり、
    それはそれで意味がある、といえばあるのだが。

    じゃあ、年賀状にはどういう意味があるのか、というと、
    それはやっぱり「出したいから出す」ということではないかと思う。

    年賀状はもらうことに意味があるんではなく、
    出すことに意味がある…。
    もらう方が「あいつは年賀状もよこさない」と思うのは間違っていて、
    出す方が「自分は今年、こういうことです」と勝手に言う儀式なんである。

    そうじゃないと、義理があるから、しょうがないから出さなきゃ、
    ってことになり、もらう方もつらい不思議なものが50円かけて製造されることになる。
    ちょっとつらい。

    まあ、ウチなんかは、出したくて出したくてしょうがない方なんで、
    もらう方を逆に重い気分にさせてるのかもしれない…と重う。
    あの、深い意味はない自己主張なんで、気にしないでください。
    見て笑ってもらえれば、それで満足しているので。
    と、いいつつ、来年はどういうのにするか、すでに考え始めてたりする。
    とほほである。だらだらだぶん

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 だらだらぶん642
  初詣 

  • 【2004年1月2日ぶん】

    今日は亀戸天神に初詣に行きました。
    一年の始めに、小銭を払って願い事をする…と書くと、
    身も蓋もないんですが、まあそういうことですよね。

    タダで願いを叶えてもらうわけにはいかない…という、
    自発的な行為だということなんでしょうね。神様が商売してるわけではない。

    もしくは、神社の取次料ってことか。手数料?
    窓口みたいなもんですからね。

    そうだとしたら、おみくじや絵馬も、
    金額を決めるのはヘンなんですけどね。ホントはね。
    まあ、おみくじも、絵馬も、原価がかかってるからねえ。
    当然いるわけですよ。作ってる業者がね。
    え?そういうこと考えるべきではない…そうですよね。

    こっちだって、ご縁がありますようにの5円のお賽銭で、
    両手で抱えきれないほどの願い事をしてるんですから、
    偉そうなことは言えません。

    おみくじは小吉。
    ほどほどがいいですね。

    吉と小吉はどっちがいいの?まあ、どっちでもいいですけど。
    吉が基準で、小吉は1.2倍。中吉が1.5倍で、大吉は2倍。
    凶はゼロ?マイナスか…。

    大吉はすごくいいんだけど、いいからこそ気を引き締めなければならない。
    小吉や中吉はそこそこだけど、これからよくなる。
    凶はもう、これ以上下はないんだからあとはよくなるだけ。

    つまり全部同じなんですね。
    「この先がんばりや」って書いてあるってことで。
    一年の始めくらい、この先がんばるか…という気分になる。
    そのためにお金払うってことで、まあ、納得してるんですけどね。

    だらだらだぶん

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 だらだらぶん641
  あけましておめでとうございます 

  • 【2004年1月1日ぶん】

    年が変わる瞬間、
    12月31日の23時59分59秒から、1月1日0時00分に変わる瞬間に
    必要以上に構えちゃうタイプです。

    なんかこの瞬間が、ものすごく特別なような気がして、
    いわゆるカウントダウン感覚ですね。
    背筋なんか伸ばしちゃう。

    今年、たぶん生まれて初めて、
    この瞬間をNHKの行く年来る年を見ながら迎えました。
    なんで初めてかと言うとですね、
    この番組にはカウントダウン感覚がないんですよね。
    ごーんという除夜の鐘を聞きながら、いつの間にか新年になっている。
    だからどーも、新年を迎えた気にならなくて、敬遠してたんですね。

    で、歯磨いて寝ようと思ったら、
    歯磨きのチューブがほとんど残り少なくなっていて…。
    そこでハタと気づいたわけです。
    ああ、時間というやつは、自分の思いとは関係なく続いているんだなあ…と。
    新年になったから、いきなりチューブが新品になっているわけでは
    ないんですよね。当たり前ですね。

    新年早々、何を考えてんのか、っていう感じなんですが、
    結局、その瞬間(12月31日の23時59分59秒から、1月1日0時00分に変わる瞬間)
    が特別だと思うのは、自分がそう思うからで、
    自分がそう思わなければ、ぜんぜん特別でもなんでもないということです。

    逆に云えば、自分が特別だと思えば、
    なんでもないある瞬間だって、特別にすることはできるわけで…。

    その一瞬の価値を自分で決めること。
    ちょっとかっこつけてますが、これが今年のテーマですね。
    それはくだらない一瞬をいかに増やせるか、でもあります。
    つまらない一瞬は極力減らす。
    あと、ちゃんと毎日更新することね。

    今年もよろしく。だらだらだぶん

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 だらだらぶん640
  じゃぱにーずくりすますそのさん 

  • 【2003年12月26日ぶん】

    というわけで、今年のクリスマスも夢のように過ぎ去っていきましたが、
    (いつまで引っ張るのか…)
    この昭和30年代と、クリスマスの関係ってのが、
    思い返してみてもすごく象徴的なわけです。
    みんな、大好きだったんですよね。アメリカの(金持ちな感じ)が。

    大きな冷蔵庫を開けると、大きなビンの牛乳が入っていて、
    部屋の中には大きなソファがあって、
    広い庭を通って、隣のおっちょこちょいなおばさんがやってくる。
    これは「奥様は魔女」ですね。

    もちろんドラマの中でしか、見ることができないアメリカ生活でしたが、
    そりゃもう、自分たちの生活とはかけ離れていて…。
    めちゃくちゃあこがれでしたね。

    奥様は魔女のダーリンは広告代理店のコピーライターだったんですよ。知ってました?
    それにあこがれてこの世界に入ったわけではないです。念のため。
    そのころは、ぜんぜんわかりませんでした。

    話が逸れましたが、クリスマスって、
    このステキなアメリカのど真ん中みたいなもんだったんですよね。
    広い家は真似できないけど、12月24日のパーティくらいはマネできる。
    だからみんなが飛びついたのは、賛美歌唄うクリスマスじゃなくって、
    三角帽子をかぶるクリスマスだったんですね。
    アメリカ人が三角帽子かぶってるのは、あんまり見たことないですけどね…。

    イブにイラクで唄ってるアメリカ兵がテレビに映ってましたけど、
    ステキなアメリカは、どっかいっちゃいましたねえ。
    なぜかあこがれてる日本人だけが、そのころとかわらずどんちゃん騒ぎしている。
    なかなかに皮肉っぽい世の中ではあります。だらだらだぶん

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 だらだらぶん639
  じゃぱにーずくりすますそのに 

  • 【2003年12月25日ぶん】

    最近、やたらと1960年代のことを考えるんですよね。
    昭和30年代…。

    今やってるNHKの朝ドラ(てるてる家族)とか、
    これ、TVは見てないけど、原作は読んだりして、
    あといかりや長介さんが書いた自伝とかも読んだりして(ドリフの創世記がわかる)
    これなんかは40年代ですけどね。
    なんかこのくらいの時代がマイブームになっています。

    そんな中に、小沼丹という人が書いた『黒いハンカチ』という推理小説があるんですが、
    推理小説といっても、あんまり人が死んだりしなくて、
    なんでもない日常を描いているとってもかわいい小説です。
    ここで画かれている舞台も昭和30年代。

    このなんでもない感じが非常に「今っぽい」んですけど、
    (そんなわけで、その当時はあんまり評価されてないっぽい)
    なんでもない日常が、今よりのんびりしていてなんだかうらやましいわけです。

    戦後から立ち直って、しかしバリバリ行っちゃう時代より前の、
    ムダのないのんびりさというか…。

    さすがにボク的にも、そのへんは実感しているわけではなく、
    (40年以降はよく覚えていますが)
    特に東京の感じなんて、わかりようもないんですけど、
    なーんか銀座とか、いい感じなんですよね。

    この中で画かれているX'masが、ある意味いい感じでもあり、
    ある意味今となんら変わらないのです。
    そうそう。驚くくらい、今と変んない…。

    神聖さもあんまりないし、どうでもいい感が漂いつつ、
    それでもみんな浮かれて(三角帽子をかぶってたりする)
    バカ騒ぎしてるんですね。

    まあ、日本人がそんなに変わるもんでもないだろうし、
    当然なのかもしれませんが、
    まあ、日本人のX'masに対する捉え方が、
    徐々にだらしなくなっているわけではない…のは確かなようです。
    おもしろいですねえ。(などとひとり勝手に思っている)
    だらだらだぶん

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 だらだらぶん638
  じゃぱにーずくりすますそのいち 

  • 【2003年12月24日ぶん】

    雨が夜更け過ぎに雪へと変わる今日このごろ。いかがおすごしですか。
    …ピーカンだけどね。

    日本がどんどん熱帯化してるんで、ホワイトクリスマスなんて、
    北海道、東北と、日本海側の一部…でしか可能性がないですよね。
    それでもロマンチックだけは全国的に降りまくるんだろうけど。
    あと一部の地域では涙雨も降るね。こっちは豪雨かもしれん。

    などと言いながら、ホントにクリスマスしてるのは、
    独り者よりファミリーの方に(圧倒的に)多い気がする。
    そこのおとうさん。ちゃんとトイザらス行きました?

    日本のX'masのいびつなカタチはどこから来たんだろう…とよく考えるんですが、
    まずは日本人がX'masを「祭り」だと思ってることね。
    もちろんアメリカのX'masだっておまつりなんだけど、
    日本の場合、宗教的な背景が、カケラも残ってないですからね。

    では日本人が、どうしてそこまで宗教的背景を無視できるのか。ってことなんですけど、
    どうしてまったく気になんないのか。ってことね。
    マジメに言うと、すでにほとんどの人が何も信じていないのに
    ちゃんと初詣に行ったりする国民性…みたいなことなのかもしれないっすけどね。

    もともと「祭り」というものの捉え方がそうだった…んではないかと思いますね。
    日本における「祭り」は、収穫を感謝するものが多く、
    それはもちろん神様に感謝してるわけね。

    だけど「祭り」そのものには、すでに神様感はなくて、
    目出度い、うれしい、楽しい、だけが舞い踊っているわけです。
    すでに神社は「場所」を貸してるだけだったりして…。

    そういう祭りになれている日本人が、X'masもそう思っちゃったってのは…
    やっぱ暴論ですよねえ。(明日につづく)だらだらだぶん

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 だらだらぶん637
  オレも走る季節 

  • 【2003年12月22日ぶん】

    生きているのか…とか、
    いつまで「暑い夏」のままなのか…とか、
    言われ続けて一ヶ月も経ってしまった。怖ろしいことだ。
    しかし年末だというのに(年末だからか…)なんでこんなにバタバタと
    走り回っているんだろう。まったくとほほである。

    私にとっての理想の年末とは、
    徐々にシゴトが片づいていって、
    今くらいの時期になると、ほとんど何もない状態になって、
    ああ、今年も終わりだなあ…と感慨に耽って、
    クリスマスソングがそんな気分を盛り上げてくれて、
    忘年会から正月休みに。そして年明けに思いっきり「ウツ」になる。という…

    数年前まではそうだったような気がするのだが、
    近頃は年末に「片を付ける」という気持ちが、
    こっちにも、クライアントさんにもなくなっているようだ。
    いや、逆に片は付けるんだが、その片がホントにギリギリにずれこんでしまって、
    しかもその片の種類が納品ではなく、撮影まで…になってしまって。

    どうも気持ちが片づかない。

    この時期はやっぱり
    「アタマの中でラストクリスマスの輪廻が止まらなくなる」とか、
    「今しか唄えないユニコーンの『雪が降る町』の
     『♪あと何日かで今年も終わるから〜』というところを
     思いっきりチカラをこめて唄う」とか、
    そういうことでアタマの中をいっぱいにしたいものだ。

    忘年会するヒマもない。
    こないだなんか、とある忘年会は2人しか集まんなくて中止になった。
    まったくとほほだ。
    久しぶりに更新したと思ったら、グチばっかりで申し訳ない。
    グチでもなんでもいいからとにかく更新しようと
    年末なのに気持ちを新たにしたのであった。(遅い)
    …だらだらだぶん

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 だらだらぶん636
  暑い冬 

  • 【2003年11月25日ぶん】

    三連休はいいけど、火曜のつらさが1.5倍になるような気がする。
    どうせなら水曜を休みにしてほしいものだ。

    さすがに秋も深まって、冬の足音がもうそこまで…という感じ。
    なんといっても冬は
    暑いとこがキライだ。
    夏の暑さは「脱ぎゃいい」ので調整が効くけど、
    冬の厚着は脱ぐのがめんどくさい。

    寒いのは道を歩いているときだけで、
    どこへ行ってもガンガンに暖房に攻められているんだから、
    基本的には暑い季節と変わんない。

    うっかり混んだ電車に乗っちまおうもんなら、
    いまさら上着を脱ぐこともできず、湿気はムンムン、汗はダラダラ、
    そうとう悲惨なことになる。

    となると中が薄着で分厚いコート…という構成がいい…ように思うが、
    これが脱ぐとかさばってこれまためんどくさい。

    どうやっても冬はめんどくさい。という結論に達してしまう。
    なんかいい方法ないっすかね。だらだらだぶん

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 だらだらぶん635
   

  • 【2003年11月19日ぶん】

    HAWAIIって普通に読んだら歯はいい…だな。
    なんで「II」とiをふたつ重ねるのか、まあ考えてもしょうがないんだが。

    忙しかったり寒くなったりすると南の島に行きたくなる。
    島はなんでいいのか。
    やっぱ離れてるからだな。大きい陸と。
    離れたい…というか、つながりを絶ちたいという気持ちが
    どこかにあるんだな。

    最近はどこへ言ってもつながってるんで、
    もちろん便利なんだけど、ちょっとうざいわけで…。

    そんで島にあこがれるんだな。
    それもホントにつながりを絶ちたいわけではなくて、
    離れてしまった気分を味わいたい…というくらいのレベルがいいんだろう。

    忙しくなると、つながりが…
    ちょっと多すぎるわけで。
    複雑怪奇というか。めんどくさいというか…。

    一回みんなチャラにしたい気持ちになるのかもしれない。
    海があるとそういう気になる。
    水がいろんなものを流してくれるからか…。

    もちろん、戻るときの気持ちの重さはとてつもないけどね。

    KAWAIIってのは…
    かわいいだな。一瞬わけわかんないけど、
    これはただの日本語。
    しかし似ている。だからなんだっていうとなんでもないんだけど。

    ちなみにカウアイはKAUAI。
    これはそのまんまだ。だらだらだぶん

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 だらだらぶん634
  顔の犬 

  • 【2003年11月18日ぶん】

    道を歩いていたら、すごく「人の顔」っぽい「顔の犬」がいた。

    この犬の顔が「人の顔」っぽいということは、
    この犬の顔…のような顔をした人がいる可能性が高い、ということだ。
    この犬の顔…のような顔をした人は、つまり犬っぽい顔をした人なのだろうか。
    しかし「犬っぽい顔」をした人は、顔が「概念としての犬」に似ているわけで、
    この犬が表現(?)している「人の顔」に似ているわけではない。
    つまりその人は「犬の顔」に似ているわけではなく、
    犬の中に現れた「人」に似ているわけで、
    そういう意味では人が人に似ている、という、なんでもないことになるわけだ。

    ただ問題は、その犬が似ているのが、ある特定の「人の顔」なのかということだ。
    それはひょっとすると「概念としての人の顔」なのかもしれない。
    しかし「概念としての犬の顔」と比べて「概念としての人の顔」は想像しづらい。
    それは人が人の顔を見分ける能力と、犬の顔を見分ける能力とが
    同じとは言えないからである。
    往々にして人は人の顔は細かく識別するが、
    犬の顔をそこまで真剣に見分けたりはしない。(する必要がない)
    つまり人の顔の中に特定の犬の顔を見つけることができる人とは、
    かなり犬の顔というものに対して思い入れの深い人であり、
    たぶんその人生の中で犬とのつきあい方が、一般の人よりは強かったはずである。
    犬を飼っていたことがあるかどうか、にも大きく左右されることだと感ずる。

    しかし一番の問題は、私が実際にこの犬の顔に似た顔を持つ人を街で見かけたとき、
    かなり気持ち悪いんではないか、ということである。だらだらだぶん

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 だらだらぶん633
  リスク 

  • 【2003年11月17日ぶん】

    (やばいやばい。また間があいてしまった…)

    それにしても、いろいろ考えさせられましたね。昨日の女子マラソン。
    一番ツラかったのは高橋選手本人だと思うので、
    まわりがわいわい騒ぐのは、もうちょっと控えたほうがいいと思いますね。
    「もう一回走らないとアテネが」とか、もうちょっと待てっつーの。

    それにしても、一番の問題は「番組」ですね。
    ちょっと甘すぎ。作り方が。
    こういうことは、当然「ある」わけだから、
    それに対する対応をここまで考えていないっつーのはいかがなものか。
    当然勝つと思いすぎ。勝負なんだからさー

    その中でも、いちばんダメダメだったのが、
    優勝者インタビュー。ひどすぎ。
    「優勝おめでとうございます。高橋選手はどうでしたか」はないでしょー。
    しかもそのとき、カメラは高橋を映してんのね。ふへ−
    呼んじまった世界記録保持者は使わないわけにいかないし、
    むりやり登場させたりして。ひどすぎ。

    「高橋尚子ショー」じゃないんだから。試合なんだからさ。

    広告業界もエラそうなこと言えないっすけどね。
    負けたときにこのCMが流れたらどうなるか…とか。
    まあ、むずかしいとこですけどね。勝てば効果抜群だし…。

    スポーツ選手を芸能人扱いしてると、
    またとんでもないことになりますよ。オーシュレットみたいに。
    だらだらだぶん

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 だらだらぶん632
  選挙 

  • 【2003年11月7日ぶん】

    前から、広告を作るみたいな「技」を使えば、
    選挙で人心を把握するのって意外にカンタンなんじゃないかと思っていたんですが、
    よく見てると、そんなようなコト、けっこうやってるんですね。
    小泉さんなんかは、そういうセンスはあるみたいで、
    安部幹事長の起用なんて、まるでタレント広告だもんね。
    なんだよ。なんて思っちゃうけど、厳然と効果はあるんだよね。

    マニフェストなんてーのも、
    コトに新しい名前を与えることで、急に魅力的に見えるという、
    まあネーミング作業ですよね。
    あれが政権公約のままだと、ぜんぜん興味がわかないところを、
    名前変えた(変えたわけじゃないけど)とたんに、
    見え方がすごく変わってくるわけで…。

    まあ、もともと政治と広告ってすごく近くて、
    ヒットラーからケネディに至るまで、上手な人は上手なんだよね。
    まじめなハナシ、わかりにくいものをわかりやすくすることで、
    参加意識が高まったり、理解が深まったりするから、
    それはそれで悪いことではないとは思います。

    それにしても、日本の政治家はまだまだ下手くそで、
    こっちにちゃんと真意を伝えることができていない。
    政見放送を妙にバラエティみたいにしたところで、
    親しみはわかないですからね。

    ま、技術に走れば走ったで、いかにもココロがないように
    見えてきたりもするので、むずかしいですけどね。
    それはもちろん、おおもとにココロがあるかどうか、によるんだけど。
    広告も結局はその商品の善し悪しで決まりますもんね。
    一瞬売れても、ダメな商品は結局売れなくなるし。

    まあ、そういういろんなこと考えながら、
    ちょっとでも選挙をおもしろく見よう、ってことなんですけどね。
    だらだらだぶん

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 だらだらぶん631
  道しるべ 

  • 【2003年11月6日ぶん】

    今日見た夢。
    目の前にでっかい表示板がある。
    この道を行くとどこにいくっていう矢印のやつ。
    で、その表示板には、
    「←北海道 沖縄→」と書いてあった。

    いったいなんなんすかね。これは…
    まあ、ずーっと行けば着きそうな気もするんで、
    間違いではないんでしょうけどねえ。

    で、それ見て自分は
    「ということは、いま日本の真ん中あたりにいるんだなあ」
    などとつぶやいていたりしました。

    なるほど、自分のまわりに何があるかがわかれば、
    自分の位置がわかるってことなんだよな。などと、
    深いのか浅いのかよくわかんないことを考えたりして、

    しかし、それが北海道と沖縄じゃ、
    ものすごくおおまかな位置しかわかんないっすよね。
    つまりアレか、
    行き先が遠いほど、自分の位置はわかりにくい。
    また深いのか浅いのかよくわかんないことを
    考えてしまいました。だらだらだぶん

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 だらだらぶん630
  あくなき探求 

  • 【2003年11月5日ぶん】

    道を歩いていたら「満ぞく亭」というカンバンがあった。
    何気なく通り過ぎればいいんだが、やっぱり気になってしまう。
    居酒屋さんなんだろうが、
    なんで「ぞく」がひらかななんだろうか…。

    あまりの満足感に背筋が「ぞく」っとしてしまう。
    …違うよな。
    たぶんこれは「ぞく」を漢字にできなかった理由があるんである。
    と、ひっぱるほどのネタではないので結論を急ぐと(ぜんぜん急いでない)
    食べ物屋さんに「足」という漢字を使いたくなかったんですね。たぶん

    だからどう…ってことはないんだが、
    名前を考えているときの、店主の心理状態を考えると
    ちょっとだけおもしろい。

    ここで選択肢としては、満足を「満族」と当て字にする方法もある。
    満族亭。これはこれでどっかにありそう。

    苦節15年(たぶん)
    やっと持てた自分の店に名前をつけるときに、
    縁起を担ぐキモチはよーくわかる。
    「だから言ったのに、あんな縁起の悪い名前をつけるから
     つぶれちゃったんだよー」とか、あとで言いたくないもんね。

    そこまでして「満足」というコトバにこだわる理由もないと思うが、
    いやいや、師匠の口癖だったのかもしれん。
    「お前が店を出すときには、一に満足、二に満足だぞ」とかね。

    などと想像しながら歩いていると、
    商店街は店主の願いと欲望が渦巻いている
    カンバンワンダーランドなのであった。
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 だらだらぶん629
  背番号 

  • 【2003年10月30日ぶん】

    テレビで広沢のホームランを見て(日本シリーズ最終戦)
    「ああ、やっぱり31は掛布だよなあ」なんて思ったりしたのですが、
    背番号っておもしろいですよね。
    もう一個の人格、というか。
    定着すれば番号そのものがその選手の性格まで表したりするわけで…。

    なんでスポーツ選手には背番号があるんですかね。
    やっぱり遠くから見て、誰だかすぐわかるからですかね。
    競馬のジョッキーとか、
    あれ、番号がないと、どれが誰だかわかんないですもんね。

    住基ネット…でしたっけ、
    逆に自分に番号つけられるとキモチ悪いのは、
    遠くから見られてしまうからなのかもしれませんね。
    人知れずトラックを走っているつもりでも、
    ああ、あいつはいま何着だ…なんて思われてるようでキモチ悪い。
    背番号ってプライバシーをなくすもの…なのかもしれません。

    で、思ったのですが、
    政治家にこそ、背番号をつけたらいいんではないっすかね。

    遠くから見て誰が誰だかわかんないのは、スポーツ選手と同じです。
    みんな同じようなスーツ(というより背広)着てるもんね。
    あれはほとんどユニフォームみたいなもんだ。
    プロの選手…なんだからね。人に見られてなんぼ。番号つけましょう。

    世襲議員は、おやじの番号受け継いだりするとわかりやすいし、
    新人のときは桁が多くて、認められると一桁になったりしてね。
    栄光の背番号3、中曽根康弘が引退したら、永久欠番だ。なんてーのもある。

    引退したらバッチをはずす…んではなく、
    ユニフォームを脱ぐ。にした方がいい。
    バッチは小さくて、遠くからみたらよく見えないです。
    チーム名も変えますか。自民党エレファンツとか…
    当選したら着ぐるみがバク転すんのね。
    だらだらだぶん

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 だらだらぶん628
  なんだかなあ… 

  • 【2003年10月28日ぶん】

    野球シーズンが終わりましたね。
    それにしても、なんだかなあ…な日本シリーズではありました。
    ココロを鬼にして冷静に分析すると、
    甲子園の力を借りることで、なんとか接戦になれるレベルだった。
    ってことなんすかね。
    まあ、専門家から見れば、いろんな理由とか原因とかあるんでしょうが、
    いちファンからすると、負けてもいいから、
    もうちょっといい試合をやってほしかったです。
    とくに6戦7戦。
    4戦5戦であれだけの試合をやる力があるんなら、
    甲子園以外で、その片鱗だけでも見たかった…。
    贅沢なんすかねぇ…
  •  
  • すでにひねくれモードに入ってるんですが、
    最終戦、一番記憶に残ったのが(個人的には歴史に残ると思っている)
    広沢のホームランですね。
    優勝の瞬間に向けて腰が半分浮いているダイエーの選手が
    つんのめってましたからね…。
    なんか、あの瞬間、時間が止まったような…、
    ふわ〜っと、球が上がっていくのが、スローモーションで見えました。

    たとえは悪いですが、場の空気が読めなくて、
    およびでないギャグを言ってしまったような瞬間でした。

    とは言え、おかげで楽しめました。お疲れさまでした。
    来年、野球界全体が、すっごく不安な年ではありますが、
    またがんばってほしいものです。
    それにしてもヤンキースは…
    だらだらだぶん

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 だらだらぶん627
  忘れがちなこと 

  • 【2003年10月23日ぶん】

    窓際でタバコを吸っていたら同僚にいきなり
    「いやあ、広告っておもしろいですね」と言われた。
    そのときは、さすがにちょっと驚いたのだが、
    考えてみればそれがすべての原点なのだ。

    広告って、非常に微妙な創作活動なのである。
    人の金で、モノを売るための制作物を作る。
    金をもらって、金を使って、金を稼ぐために、モノを考える。
    見ようによっては、これほど不純なことはなく、
    金がかかっているから、関わる人の気持ちにも角が立ちやすい。

    これが毎日ってことになると、どんどんキモチも戦闘的になっていく。
    攻めるぞ、守るぞ。何やってんだ。金がかかってんだぞ。てな具合。
    だけど、たまにアレって気になって、一回深呼吸してみると、
    ちょっと見失ってたことを思い出したりする。
    広告ってなんだっけ…。

    すっごい恥ずかしい言い方をすると、
    広告ってロマン…だったりする。
    広告がやることは、すべて予測である。
    ずっと未来を考えている。
    いまより、よい未来である。
    そう考えてみると、広告って作業は、
    人のシアワセを考える仕事…だったりする。

    実はもっとシンプルで、もっと明るい仕事なんである。
    昔、誰もがそれを疑わなかった時代、
    確かにモノを売って、それで豊かになることがシアワセだという、
    そのものがシンプルだった時代よりは、
    今はちょっとむずかしいのかもしれない。
    だけど、ホントは変わんないはず…なんだよなあ。

    いろんなことをフクザツにフクザツに考える前に、
    もっと単純なことを思い出した方がいい。
    まあ、そんな当たり前のことを思ったりしたのでした。
    (もちろんこの文章を同業者が読むことを前提に書いています)

    だらだらだぶん

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 だらだらぶん626
  一度参加したい 

  • 【2003年10月20日ぶん】

     アメリカ合衆国東部で、古くから伝わるその名も「American Road Race」という競技がある。別名「BabyBack」とも言われるこのレースは、年に一度10月の第三週の週末に行われることになっており、現在でもいくつかの衆では伝統が引き継がれ、地元の人々や観光客の目を楽しませている。
  •  さてこの競技、ベイビーバックという通称からもわかるとおり、もともとはその歳に1歳を迎えた赤ちゃんがその元気さを競い合うという競技だった。もちろん赤ちゃんだから、競技と言ってもやってみるまではどういうレースになるのかは皆目見当がつかない。時には後ろ向きでハイハイした赤ちゃんが優勝することもある、というのが、この名前の由来である。
     現在では、もちろん競技に参加するのは赤ちゃんではない。大人が大まじめで競い合うのだが、このレースのポイントは、やはりやってみるまでどういうレースになるのかわからない。というところにある。つまりどういうレースなのかがわからないのがミソなのである。
  •  合図のピストルが鳴ると、とりあえずすべての競技者は一斉にスタートする。競技委員会では、あらかじめその年の「走り方」を決めてあるのだが、競技者にはそれが後ろ向き走りなのか、よつんばいなのか、スキップなのか、いっさい知らされていない。競技者はわからないままに、とりあえずいろんな走り方を試しながら走る。競技者は正解をまわりの反応を見ながら予測する。観客の方に正解を伝えてはいけない、という決まりはないのだが、それを言ってしまうと他の競技者にも正解がわかってしまうので、自分の応援する競技者の行動を見て、正解に近ければ拍手をする。走っている方は、それを見てまたいろいろと試しながら走る。まるで「走りながらやるジェスチャー」のようなものだ。最終的に、決められた走り方をしながらゴールのテープを切った人が優勝である。
  •  まるで手をたたいて赤ちゃんを誘導するかのようなこの競技だが、やる方は大まじめでそれがまたおもしろく、例年非常に盛り上がる。最近ではこの競技をもっと広く普及させようという動きも生まれており、ひょっとしたらオリンピックに採用される日が来るのではないかと、地元では期待が高まっている。(ロイター共同)

    はい。もうおわかりですね。
    この記事はもちろん大ウソです。こんな競技は世界中のどこにもありません。
    実はかなり正確に「こういう夢」を見たわけです。バカですね。
    いったい何を考えて生きているんだろう、と自分でも不安になります。
    夢なので、冷静に考えればおかしいところはいくつもあります。
    だいたい、そんな町内の運動会みたいな競技にロードレースはないだろう…てなことです。
    ただ、事実はなくても、やみくもに具体的なことを並べると、
    だんだんホントに思えてくるから不思議です。
    書いてるうちに、ホントにあってもおかしくないような気がしてきました。
    最後の「ロイター共同」でやっと気づいた人がもしいたとしたら、
    これに勝る幸せはありません。
    その人はかなりイヤーな気分になったことと思いますが…。だらだらだぶん

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