1-25

 


 だらだらぶん25
  子供の考えることを大人は考えない2(全児童レベルアップシステム) 

  • 【2001年2月19日ぶん】…(きのうのつづき)…あの手のゲーム(RPG)は、何度も闘って経験値を上げ、レベルを上げていくシステムである。そこが楽しさでもあるんだが、子供にとってはけっこう「飽きる」ことでもある。で、どうするかというと、自分がそこにいなくても勝手にレベルが上がってくシステムを考えるんである。具体的に言うと
    まず、お年玉で「連射できるコントローラー」を買う(…笑)。で、四方を壁にかこまれたスペースを見つけて、そこでずっとぐるぐる歩き回るようにする。(たとえばずっと左に向くようにしておく。あとは、十字ぼたんの「上」の上に重いモノを乗せておく)敵に出会い、勝手に闘う。(連射だから)その繰り返しだ。(やったことのない人にはなんのことかわかんないかもしれないが)で、もうテレビともつながず、引き出しに入れて、遊びに行く。(おかあさんに見つかると怒られるので)帰ってくるとすごくレベルアップしてる。というわけだ。言われてみれば、まあ、そういうこともできるわな。ということではあるが、こういうことをしようということを大人は考えない。ある意味タブーという枠がないわけで、すごくおもしろいし、ちょっと怖い。新しいモノというのは、そういうとこから生まれるんだろうな。とも思ったりするわけである。勉強になるなあ…。だらだらだぶん

    TOP

 だらだらぶん24
  子供の考えることを大人は考えない1 

  • 【2001年2月18日ぶん】 忙しさにかまけて子供とのコミュニケーションをふんだんにとれているとは言えないおやじだが、ことゲームのこととなると、かなり密接である。というか、つきあいが対等になる。もともとこんなふうにパソコンオヤジになるまでは、ゲームオヤジであった。(えらそうに言うなって)いまや、ゲームについてはいろいろと教えを請う立場である。一番のブリッジは「ドラクエ」だ。なんだかんだ言ってあのゲームはよくできている。すごいのは一度最後まで終えても、もう一回やろうという気になるところだ。(まあ人によるだろうが…)普通にストーリーを追って一度完結したら、今度は職種とか、カジノとか、今の7だと移民の町とか、タカラとかメダルとか、いろいろ楽しみ方を変えてまた遊ぶことが出来る。子供のすごいのはまず「どこに何があってどうなってたか」ということを異常に記憶しているということ。友達との情報交換なんかもあって、下手なガイドブックよりすごいナビゲーターである。助かる…。もうひとつは、そこに自分なりのオリジナリティを加えていくこと。あのゲームのどこにオリジナリティを加える余地があるんだ。と思われるだろうが、これがすごいんである。(つづく)

    TOP

 だらだらぶん23
  ギャグ2 

  • 【2001年2月17日ぶん】 こないだ家族で食事に行ったとき、「おとうさんはどんな子供だったのか」という話になった。「クラスで一番おもしろいことを言う子供だったよ」と言うと、じゃあどんなことを言っていたのか。ってことになった。そのときふと思い出したのが『恐怖のみそ汁』ってやつ。覚えてます?(恐ろしげな口調で)「男がみそ汁をのもうとすると、みそ汁には『フ』が入っていた。今日フのみそしる!」…どんな話だったかよく思い出せないので、適当にこんな感じで言ったら、これがなんとバカウケした。調子に乗って「男が道を歩いていると、亀がみょーにゆっくり歩いていた。『亀の呪い!』」これもバカウケ。ということでおとうさんは面目を躍如したのであった。こういうのって時代を超えてるのねえ…たぶん次の日、学校でやってると思う。だらだらだぶん

    TOP

 だらだらぶん22
  ギャグ 

  • 【2001年2月16日ぶん】 14日、焼き肉屋さんに行ったときのこと。店のひと:「あ、コートお預かりしますね。ニオイついちゃいますから。ケータイとか出しといて下さいね。あと、ポケットのチョコレートも出しといて下さいね。溶けちゃうんで」わたし:「う、チョコ…ないです。チョコっと傷つきました…ううっ」…しゃれたつっこみをされたので、軽く返してやろうと思ったのだが、どうやらギャグではなかったらしく、ことのほか狼狽して「いや、あの、それは…」と店のヒトはコトバにつまってしまった。こっちとしてもそういうふうに来られると、まるで本気で傷ついてるみたいになっちゃってとりかえしがつかず、思わず「とりあえずビール」…。なんだかよくわからない。…だらだらだぶん

    TOP

 だらだらぶん21
  
元気を出して

 

  • 【2001年2月15日ぶん】 竹内まりあというひとの「元気を出して」という歌がある。♪〜涙など見せない〜っていう、ほらあの「ふられた女友達をはげましてる」歌ね。あれ、こないだ流れてるのを偶然聞いて、あれってひょっとして『親子の歌』なんではないか、と思った。いや、別に根拠とかないんだが、歌を聴きながら映像を想像した場合、なーんか「おかあさんと娘」みたいな感じがしたんですよね。友達同士の場合、「そうそう、そういうことってあるわよね〜」ってのはあるけど、「新しい服を買って出かけたら」まではなかなか言えないよね。親子ならそういうのありそうである。あ、もちろん、その場合の子供はもちろん中学生以下ね。それ以上になるとちょっと不気味かもしれん。
    今日、息子が自転車盗まれて、そのわりぜんぜん元気なので、もうちょっと悲しそうにしたらどうか。と思ったのだが、(買ったばっかりなのに、ホントに腹の立つ…)母親に言わせると、あれはすごく悔やんでる表現なんだそうである。そうかな〜、そう言えばそんな気もしないではない。という…父親としてはなんともあいまいな理解度ではある。おやじというのはそういうものか…。だらだらだぶん

    TOP

 だらだらぶん20
  
かんけーねーや

  • 【2001年2月14日ぶん】 いまどき、一番このバレンタインデーというやつを気にかけているのは、小学校くらいの男の子を持っているおかあさんたちなんだってさ。「はたしてうちの子がチョコレートをもらうことができるのか。もしもらえなかったらどういうふうに声をかけてやればいいのか」なんだって。たしかに子供にとっては最初に味わうザセツかもしれないもんねえ…。しかしこの先ずっと続く闘いの第一歩なんで、ひとことで言えばほっといたほうがいいんだろーね。この先子供がふられるたびになぐさめてやってるわけにゃいかないもんねえ。ほっとけほっとけ…。オレなんかずっとほっとかれてるぞ。妻から…。あたりまえだ・・・だらだらだぶん

    TOP

 だらだらぶん19
  
残りの回数

  • 【2001年2月13日ぶん】 うちらの業界なんてーのは、田舎を飛び出して、一人暮らししてるよーなやつが多くて、そういうやつはたまに実家に帰っても、親とろくに口もきかなかったりするわけです。まあ、たまに帰ったら帰ったで、口うるさくいろいろしつこいし…、めんどくせーや。ってキモチもわかるんですけどね。なんでこんなハナシをするのかというと、ふと誰かが「だけどさ、考えてみると、あと親に会える回数って、数えるほどしかないんだよね」と言ったからなんですね。たとえば親が今60歳だとして、80まで生きるとして、盆と正月に一年二回帰るとしても、40回しか会えないわけです。ね。ちょっとだけ、やさしくしてやってもいいかな。って気になってくるでしょ…。だらだらだぶん

    TOP

 だらだらぶん18
  
だらだらナイト

  • 【2001年2月12日ぶん】 土曜日に夜中ずっと編集していて、けっこう膠着状態だったとき、Nプロデューサーが冗談で「将棋でもしますか」と言った。将棋…土曜日に…しょーぎの…しょーぎのサタデーナイト…正気の沙汰でない…と…。思わず言ったらまるでsatoさんのホームページみたいですね。と言われた。
    ぜんぜんテレビも見られないんで、ルーシーさんの死体が見つかったのも知らなかった。ルーシーさん事件…ルーシー三時券…おやつをもらう券か…。だいたい最初はこの「ルーシーさん」という名前が出てこなかった。何という名前だっけ…。スーザン?…スーザンさん惨殺…これは声に出してみるとおもしろい。すごく言いにくい。早口言葉みたいだ。すーざんさんざんさつ。「バスガス爆発ブスバスガイド」みたいだ。ちなみにこれはボクが一番好きな早口言葉…。だらだらだぶん

TOP

 だらだらぶん17
  
依存度

  • 【2001年2月10日ぶん】 昨日、会社のメールのサーバーがダウンした。おおさわぎだった。ちょっと前まで「わしゃメールなんてつかわん」と豪語していたおじさんたちが「困るんだよね。こういうことじゃ」なんて言っている。アッという間に、頼り切っている状態に変わってしまったわけだ。ちょっと前まで「あれば便利」だったものが「ないと困る」ものになってしまった。おそろしいことである。ケータイにしてもそうで、よく「どこかに置き忘れて大騒ぎしているヒト」を見かける。いざ無くなってしまうと、途方にくれてしまうのだ。しょうがないから公衆電話を探すがなかなか見つからない。いつのまにかすごく減ってしまったことに気づく。古いテレホンカードを見つけだす。で、ようやくかけようとしたら電話番号がわからない。電話帳として頼り切っているからだ。おじさんはこう言う。「いっそのこと何にもなけりゃいいんだよ。なけりゃないなりに生きていけんだよね」。しかしそうやって今依存しているものをひとつひとつはぎ取っていったら、きっと裸でマンモスを追っかけてる、ってとこまで戻ってしまうんだろーな。だらだらだぶん…。

TOP

 だらだらぶん16
  
漢字感覚

  • 【2001年2月9日ぶん】 同じコトバでも、使うヒトの感覚によってあてる漢字が違うことがある。こうやって文章を書いていても、わざとあんまり普通ではない漢字をあてたりする。たとえば「こわい」というコトバを使うとき、ふつうは「恐い」だが、これはわりと積極的なこわさ(わっ、こわーって感じ)で、これが「怖い」になるともっと楳図かずお系になる。ブルブルふるえる感じね。なーんていってもこれはすごく個人的なことで、別にそう決まっているわけでもなんでもない。こないだ撮影所のトイレに「ゴミを棄てるな」と書いてあった。普通なら「捨てる」だろう。「棄てる」と書くとまるで「男に棄てられた」って感じになる。いかにもいらなくなって、急にキモチが冷めて、ほっぽったという感じが出ていて、これはこれで正解だな。という気がした。前にエロマンガで「いくーっ」ってセリフに「逝くーっ」とあてていたのには笑った。死んじゃってるぞ…しかし「行く」よりは正解かもしれん。だらだらだぶん…。

TOP

 だらだらぶん15
  
いいまちがえ

  • 【2001年2月8日ぶん】 ボクがCMの撮影のとき、監督が急に来られなくなって代理で演出する羽目になり、「よーい、スタート」と言わなくてはいけないところを「よーい、はじめっ」と言ってしまった話は有名ですが(一部で)…。今日、タレントさんに向かって「ご本人が」と言おうとして、緊張のあまり「ご本尊が」と言ってしまった人がいました。うーん、これでは尊敬を通り越して、拝んでしまいます…。だらだらだぶん

TOP

 だらだらぶん14
  ■
名前

  • 【2001年2月6日ぶん】 名前とお金は究極の『記号』だと思うわけです。お金なんて冷静に考えてみればただの紙きれなわけで、ありがたがったり、それがもとで争ったりするのは実はすごくマヌケなことだったりします。あれはお金そのものではなくて、お金に与えられた記号をそのまんま信じちゃってるわけですね。まったく疑いもしない。かく言う自分だって、じゃあお金に火を点けたりできるか。と聞かれれば、そんなことできないわけで、その記号にしっかり縛られてしまっているんですね。名前も同じです。わたしは「佐藤」ですが、「佐藤」には何の意味もないわけで、それは「山田」でも同じことで、その山田さんのどこも「山」でも「田」でもないんですね。先祖が山で田圃を耕していたかもしれないけど、今そこにいる山田さんとはなんのかかわりもない。それはただの記号なわけです。なんでそんなことを思ったのかというと、JUDY&MARYですね。おじさんはつい聞いてしまうわけです。「え?それでこの女の人はJUDYなの?MARYなの?」…どっちでもないんですね。あれはどう見ても名前だけど、実は名前ではない。なんでもかんでもむやみやたらに信じてはいけない、ということです。え?それとこれとは話が別…?まあいいじゃないですか。…だらだらだぶん

TOP

 だらだらぶん13
  
製造元

  • 【2001年2月5日ぶん】 『おみくじ』ってのがあるでしょ。いや、唐突ですが…。あれってもちろん神社で売ってるんですけど、もちろん神社で作ってるわけじゃないですよね。いや、もちろん、おみくじがおみくじになるためには、神社で売っていることが大切なんですけど、ぶっちゃけたはなし、神社で印刷しているわけではないですよね。っていうのは、知り合いが昔バイトしてたとこで、おみくじを作っていたそうなんですね。このへんは、ひょっとして言ってはいけないことになってるのかもしれませんが(まあ、その会社もおおっぴらに「おみくじ印刷承ります」などとは言っていないわけで、表向きはほかの業種になっているらしい。まるで悪いことでもしてるようだ)冷静に考えれば、どこかに必ずそういう会社はあるわけです。これってなんだか不思議ですよね。あって当たり前なんだけど、あんまり考えたことないですもんね。そういう会社ってひとつの神社にひとつずつあるわけじゃないだろうし、多分いくつかの会社で全国のおみくじを製造しているんだと思います。デザインなんかもどこでもかわんないしね。「うちのおみくじは大吉の確率が他より高いよ」なんて宣伝するわけにもいかないし。『製造直売!オトク、原価でおみくじを販売する店』なんてーのもありえないもんね。…となると、あそこの神社とあそこの神社のおみくじは、実は同じものだ。ってこともあるわけです。なーんかヘンですね。もちろん、おみくじだから、印刷した時点ではただの紙で、神社で神主さんが「えいっ」って念を込めてはじめて、おみくじとして誕生するんでしょうが…。しかし、1枚ふつう100円?原価はそうとう安いですよね。売るのは神社だけ。しかもほぼ正月限定。さらに買ったヒトがだれも持ち帰らず買ったその場で木に結んで帰る。という…、なんとも不思議な存在です。ほかにこういうものってありますかねえ…。だらだらだぶん

TOP

 だらだらぶん12
  
武蔵小山

  • 【2001年2月3日ぶん】 今日、あるタレントさんとの打ち合わせに武蔵小山に行った。約束の時間より早く着いたので、商店街の喫茶店で時間をつぶしていたのだが、なかなかにいい町ですねあそこは。いい感じに古くてごちゃごちゃしている。で、その喫茶店、名前が『王様とストロベリー』。まるで避暑地のペンションのような名前だが、店内は昔の純喫茶のようで、テーブルやイスもがっしりして重い感じ、スペースもゆったりしている。客はこれまた雑多で、ぼくらがいる間中ずっと笑い続けていた女子高生のグループ、モノも言わずにひたすらイチゴパフェを食べ続けている男一人女二人のグループ、がははと笑うごつい顔のおばちゃんグループ、ひとりでケーキを食べているスタイリストの助手ふうの黒い服の女の子、と、やっぱりごちゃごちゃであった。そんな中でひときわ異彩を放っていたのが、ひとりでずっと文庫本を読んでいた不動産屋風のおじさん。何度も何度もケータイが鳴る。なんとなく聞いていたら「あ、今か?今はほら、あそこにいるわ。『王様とイチゴ屋』。」…イチゴ屋はねーだろ。思わず笑ってしまった。越後屋みたいだ。顔も悪代官みたいだし。おぬしも悪じゃのう…だらだらだぶん

TOP

 だらだらぶん11
  
ジャズ

  • 【2001年2月2日ぶん】 ジャズとか、ぜんぜん知らないんだが、前にどこかで聴いた曲がすごくいい感じで、もうどうしょうもなくスキになり、調べたらその曲はビルエバンスというヒトのワルツフォアデビィという曲だった。ジャズ好きのヒトからすると「なんだよ。それ、基本じゃん」という曲らしい。んなこと言われても、知らないんだからしょうがない。だけどまあ、ぜんぜん知らないのにこれはいい曲だ。と思って、それは有名だ。と言われたということは「そうか。自分の感性もなかなか捨てたもんじゃないな」ということも言えるわけで、何事もポジティブに考えていきたい21世紀である。(意味不明)ピアノのメロディが切なくて、ハーモニーが複雑で、ほとんど不協和音な感じなのだが、それが気持ちいい。専門的なことはよくわからないが、シンプルでとっつきやすいが、いざ入ってみるとすごく深い樹海のような曲だと、個人的には思った。こういう文章で曲の感じを書くほどむずかしい、というか、無謀なことはなくて、多分読んでいるヒトにはその音楽のなにも伝えることはできないんだと思うが、とりあえず書いている次第である。(すいません)で、偶然その曲が入っているDVDを見つけたので思わず買ってしまった。CDじゃないよ。DVD。ちゃんと演奏している映像までチェックしてやろうという前向きな姿勢である。(なんだか)60年代のTVの映像で、モノクロでそれだけでも雰囲気があったりする。いい感じだ。お目当ての曲はラストから2曲めに収録されている。で、最初から順に見て、ちょうどその曲が始まった瞬間、マックが落ちた。もう…どうしょうもないCUBE…ふう…だら…だら…だぶん

TOP

 だらだらぶん10
  
偶然

  • 【2001年2月1日ぶん】 今日、タクシーに乗ったら「お客さん、先日も乗られましたね」と言われた。なんと、1週間の間に同じタクシーに2度乗ったんである。はじめは何かの間違いかと思ったが、この運転手さん、やたらめったら記憶している。乗った場所、降りた場所、そのときしゃべったこと、これはもう、間違えようもない。なんだかおそろしくなった。東京にどのくらいのタクシーが走っているのか定かではないが、これは確率からいうと、かなりとんでもないと思う。その運ちゃんにはそういうことがやたらとあるらしく、一日に同じ客を2回乗せたこともあるという…。夕方銀座で降ろして、夜中の3時に銀座で乗せたんだって…。まるで送り迎えである。さらには女性を夕方降ろして、同じヒトを次の朝にぜんぜん別の場所で乗せたこともあるんだそうである。降ろしたときは一人だったが、次の朝には男といっしょだったんで、だまってたそうだが…。偶然というのは、めったにあることではないが、ぜんぜんないことでもないわけで、特にこういう偶然は、幸せでも不幸でもないけど、ちょっとだけうれしいキモチになった。道順を教えなくてもウチの前までちゃんと来たのでなおうれしかった。しかし、道順まで記憶しているとは…。なんとも恐ろしい運転手さんであった。だらだらだぶん…。

    TOP

 だらだらぶん9
  
川柳

  • 【2001年1月31日ぶん】 ラーメン屋でこってりしたラーメンを食べながら、思いついた川柳二題。
    「この味は、インドネシアで、もめた味」…中華では、思いっきり使うんですよね。この調味料。中華街の一流店でも「おたま」でざあっと入れるらしい。みんななんとなくキライますけど、ちゃんとおいしくなるのは事実です。近頃のニューウエーブのラーメン屋さんなんかでは、無加調をうたってるとこも多いですけど、逆になんか物足りない味だったりします。しかし「味」としてわかるくらい入っていると、ちょっとねー。
    「健康を、考え野菜、大盛りに」…健康健康、なんて言うならラーメンなんか食べなきゃいいんですけど、やっぱり食べてしまう。で、野菜もとんなくちゃ、とトッピングのモヤシを大盛りにしてみたりして…、なんか人間の悲しおかしさを感じさせますねえ…。だけどスキです、こういう人。いじましくて。悲しい+おかしい=いじましい…でしょうか。軽いタバコを大量に吸う、ってーのもおんなじです。だらだらだぶん

TOP

 だらだらぶん8
  
格言

  • 【2001年1月30日ぶん】 道を歩いていてふと思った。「日陰の雪はとけにくい」。あ、なんかこれって格言みたいだなあ。そういうのあるかも。だけどそんな格言は聞いたことはない。意味としては、自分が落ち込んでいると、なかなか物事はうまくすすまない、ってところか…。逆に言うと「日向の雪はすぐとける」。これは自分が明るければ、事態はすぐに好転する。という意味…。だけどこっちの方は語感が格言ぽくないなあ…。どうもポジティブな言い方にすると、あたりまえのことになってしまうようである。そもそも格言なんて、あたりまえのことを、もっともらしく言ってるだけなのかもしれんなあ…。と思ったのであった。だらだらだぶん…。

TOP

 だらだらぶん7
  
いいわけ

  • 【2001年1月29日ぶん】 なんと2週間もあいてしまいましたよ…。しかしこの2週間はとんでもなく激動で、毎日が『21世紀最大のピンチ』だったりしたわけです。まだまだこの状態は続きそうで、こうなったらもう、なんでもいいからとにかく毎日更新することだけを目指しますよ。「朝起きて会社行って帰ってきて寝ました」だけでもいいから…せっかく来てくれたヒトにもうしわけないもんね。ってその方がもうしわけなかったりして…問題はあんまり短すぎたらだらだらもしようがない。ってことか…ああ、だらだらだぶん

TOP

 だらだらぶん6
  
写真

  • 【2001年1月16日ぶん】 ここ一年くらい、写真に凝っている。凝っている、というか、撮っている。それは仲間と写真の会を始めたからで、1、2ヶ月に一度ずつ、同じテーマで写真を撮ってきて競い合う、という俳句の句会の写真版みたいのをやってるからである。くわしいことはまた後日にお話しするが、これがけっこう楽しい。もともと技術なんてなんにもないんで、ぜんぜんプロっぽくないんである。カメラも一眼レフとかじゃなくて、オートフォーカスのちっこいカメラ。それでも、毎回お題が出て、期間中にそれを撮らなければならないので、とにかくいつもカメラを持ち歩くようになった。
    去年の年末、やっぱりこの写真の会の〆切が近くて、どうしようとあせっていた。もう今日撮らなければ間に合わない。お題は「別れ」…みんな20世紀との別れなんてとこで攻めてくるんだろうな。なんて思いながら、その日は親不知を抜きに歯医者に行ったんである。唐突だがそのとき、そうだ。親不知との別れを撮ろう。なんて急に思い立ち、歯医者で診察台の上からお医者さんにこう言ったんである。「写真、撮ってもいいですか?」医者は、もちろんそんなことを言う患者は初めてだったらしく驚きながら「あ、ああ…いいですよ」と言ってくれた。診察台に縛り付けられて(もちろんカラダを縛っているわけではないが)口をぐわっと開けた状態で手を伸ばして、自分で自分の顔を撮った。そしたら医者が「ああ、撮ってあげますよ」「しかし、うれしいですね。やっぱり記念ですか?」「みなさんが、こういうふうに自分の歯に興味を持って下さるとうれしいんですけどねえ…」なんて言いながら、ボクの手からカメラを奪い取ってバシバシ撮ってくれた。しかも口の中を…ボクは今更そういうわけじゃなくて、とも言えずに(口もあいているし)しょうがなくて撮ってもらっていた。そしたら、「あ、これよりももっと専用のカメラがありますから、ちょっと待って下さい」と言いだし、治療なんかほったらかしで奥に引っ込んでしまった。そしてなんだか接写用のでっかいカメラが登場した。
    昨日その歯医者さんに行ったとき、「ああ、こないだの写真、できあがりましたよ」と言われて、そのときの写真をボクにくれた。それはそれはキモチワルイ、親不知が抜けた後にポッカリ穴があいた口の中のどアップ写真だった…
    まあ、歯医者さんが喜んでくれたなら、ボクは幸せである。…だらだらだぶん

TOP

 だらだらぶん5
  
未来

  • 【2001年1月12日ぶん】 普通ならこの時期、つまり21世紀初頭、もっと未来について語られてもいーはずなんである。それがあんまり語られないのは、やっぱり誰も未来を描けない(ネタがない)からなんだろう。せいぜいでAIBOだもんね。ボクが小学生くらいのころ、未来は山のようにあって、多分2001年になったらロボットは町を歩いてるし、宇宙ステーションは出来てるし、その中ではコンピューターが反乱を起こしているなんて思っていたものだ。冷静に考えてみればゆっくりではあるが、いろんなものはカタチになっているし、ケータイ電話なんかを見ても、そのころは考えてもみなかったような技術が普通のモノになっていたりもする。それはそれでいろいろ検証してみるのも楽しいのだが、いま、今描ける未来が見つからないのはなかなかにつらい。たとえて言うなら、山の頂上を目指して、いざ登り切るとその先には道がなかった。っていうイメージである。なんかすごく視界は開けているんだが、そのどこへも行けない感じ。うれしさびしい風がそこには吹いている。いま、新しいアイデアは、現実化できる範囲でしか生まれなくなっている。「荒唐無稽」というものが受け入れられなくなっているみたいだ。それ以上の突飛なアイデアに、ヒトは飛びつかなくなった。せいぜいで5年くらいの間に実現できるもの、できそうなものにしか、興味を示さないみたいだ。アトムが生まれるのが2002年。それが今年スーツを着てANAに乗っているのは、なかなかに象徴的ではある。生まれる前に現実の中に取り込まれてしまった。いま、幼稚園や小学校で、未来というテーマで絵を描かせたら、子供はなにを描くんだろう…。それでもなにかとんでもなくぶっとんだことを考えていてくれるとうれしいんだけどなあ…。だらだらだぶん

    TOP

 だらだらぶん4
  
こわいもの

  • 【2001年1月10日ぶん】 今年は巳年。ヘビ年だ。十二支の中でもいちばん人気がない(だろう多分)。そもそもなんでヘビの年なんてーのを作ったのか、その感覚がよくわからないが、そのへんは中国の昔のヒトの考えなのでどうしょうもない。しかしそんなことを言えば、星座の方がもっとわからない。水瓶座とか…。お前は水瓶だ。と言われても、なんとも感想の持ちようもないよなあ…。天秤というのもなんだが、双子というのも唐突だ。まあギリシャ人の考えることは…きりがない。
    ヘビは人気がない、というよりははっきり言って嫌われている。もちろん大好きだという人もいるだろうが、まああんまり一般的ではないだろう。恐い、というヒトも多い。なんたって「毒」なんて持ってるし「牙」なんてあるし、そのくせ手足はなくてずるずるずる…楳図かずおのへび少女を思い出す。ゲロゲロ…。楳図かずおのへび少女は耳まで裂けた口を開いて「しゃーっ」と言う。この「しゃーっ」がすごい。なんちゅう擬音だ。ホントのへびが「しゃーっ」という声を出す。ってはなしは聞いたことがないのに、なんとなくホントに言いそうな気がするのがすごい。あの顔にはやっぱり「しゃーっ」しかないだろう。そう思わせる楳図かずおがすごい。
    話がまたそれてしまったが、ボクはヘビよりもミミズの方がキライだ。そんなものを比べることがそもそもとんでもないような気もするが、ボクの中ではこの差は大きい。ヘビのイヤな感じには意志がある。はっきりと攻撃的だ。性格的には陰湿というよりは、意外にきっぱりしている。(ような気がする)しかしミミズは何を考えているのか、皆目分からない。多分何にも考えていない。こっちの方がキモチワルイ。何にも考えていないのに、動く。ココが恐い。なんで何にも考えていないのに前に進むのか。実は前に進みたいと思っているのか。百歩譲ってそうだとしても、表情がないからわからない。(目鼻がないからあたりまえだが…)人間だって、はっきりといじめっ子のジャイアンの方が信用できる。ニコニコしながら病院で薬のかわりにへんなもの入れるヤツの方が恐い。
    キモチ悪い話でごめんなさい。すぐにあやまる21世紀。だらだらだぶん…

    TOP

 だらだらぶん3
  
正月について正直に3

 

  • 【2001年1月7日ぶん】 たぶん、世の中のいろんなところで(正月だからって別に特別なことしなくていいじゃん)っていう気分がどんどん一般的になってきてるんだと思う。もともとの正月休みにはちゃんと意味があって、1)ここで一回ちゃんと区切る。2)日本中だれも働かない。3)だからお店もやっていない。4)家庭の仕事も休む。5)だからおせち料理を作ってその間飢えないようにする。すぐに食べられるおもちもついておく。6)喰っちゃ寝でしばらく暮らす。7)胃が疲れるから七草粥を食べて正月は終わり。ってことになっていたんである。「わざと」そうしていたんである。それが何を勘違いしたのか、今の時代何日も店が開いてないのは何事か。なんつって、もう2日からスーパーはやってるし、逆につくりだめしておくことがヘンに感じるようになってしまったのだ。もうバカとしか言いようがない。同じ意味でだんだん「年賀状」というやつも意味がわかんなくなってしまった。ふと「なぜいつも会ってる人に(またすぐ会うのに)わざわざ手紙を出さなくてはならないのか」と思ってしまったのである。いやホント…メールの方がいいじゃん。ハカキ代もかからないし。とか、みんな本気で考え出してるんである。これが21世紀なんだ。などというんであるが、ボクはちょっと違うんではないかと思う。別にちゃんとした理由なんてない。なんとなくである。なんかヤだ。メールにはメールのよさがあるのはわかってるけど…。メールはすごく個人的なもんである。家族にはむかない。手にとって家族みんなで見て、あーこのヒトもふけたわねえ…。ができない。写真貼付して見ればいいじゃないか。といわれるかもしれない。だけど、はい、これはおかあさんの分。これはおねえちゃんの分。っていうのができない。やっぱりメールは「モノ」ではなないんである。年賀状は「モノ」だ。質量がある。あんまり理由になってないか…。日本中のヒトがみんなメールでやりとりするようになってしまえば、あはは…昔は紙に書いてたんだってさ。なんてことになるのかもしれないが。家族のごちゃごちゃしたかんじとか、早く出さなければ元旦に着かない、っていうめんどくささとか、そういうすっきりしないものがあるから、それは後に残るんだと思う。メールはあとに残らない。ワンタッチでココロの中から消去されてしまう。
    特別というやつはめんどくさい。だけどめんどくさいから記憶に残る。だけどみんなめんどくさいことはキライだからどんどんなくなっていく。結果ラクにはなるけど、なんにも残らない。これが21世紀の正月に対するボクの危惧である。あー、えらそーにまただらだらと書いてしまった。こんなことだから毎日つづかないんだよなあ…。だらだらだぶん。

    TOP

 だらだらぶん2
  正月について正直に2 

  • 【2001年1月6日ぶん】 え?ヤラセでしょ。なんて軽く言われてしまった。例の時報先走り事件のことである。えーっそーなのー…って感じだ。それにしても正月番組はなんでもなかった。どうなんでもなかったのかというと、新しい企画がまったくなかったんである。結局定番人気番組の特番、ってことで、改変期の特番と全く変わらない。ものまねと、珍プレーと、仮装大賞と、はじめてのおつかいと、グルメ対決と、人気歌手総出演ライブである。もちろんこのへんは確実にポイントをあげられるゾーンで、はじめてのおつかいなんかはやっぱり涙なしには見られないんだよねえ。じゃあ、昔は正月に何をみていたのか、というと、新春スター隠し芸大会だったわけで、このへんが死んでしまった(スターがまったくありがたいものじゃなくなったので隠し芸もありがたくなくなってしまった)から、必然的に番組も変わってしまったわけだ。出演者にありがたみがない紅白やレコ大より、人気歌手総出演ライブの方がぜんぜんありがたみがある。くだらない三流お笑い芸人総出演ライブ?じゃなくて演芸番組が減ったのも喜ばしい。って…じゃあ、いいんじゃないかこれで。そうか…そうなのかもしれないなあ。何を言いたかったのかというと、正月らしさはどこへ行ってしまったのか。ってことだったのである。お正月はかくもなにげないものになってしまった。というのが結論だ。ボクが一番おもしろかった正月番組は、「三谷幸喜がビリー・ワイルダーに会いに行くドキュメント」ってやつなのだが、これだってぜんぜん正月じゃないもんなあ。あとは「HAMASHOのスペシャル」ね。結局のところ21世紀の「正月らしさ」とは、このあまりになんにもない、だらだらしたのんびりさかげん、なのかもしれない。成人の日の前倒しで、休みだけはどんどん増えてるからね。
    ボクの知り合いの知り合いの知り合いってヒトが、年末におこった世田谷の殺人事件の被害者の知り合いで、正月にマスコミがやれ写真はないか。だの、やいのやいのとうるさくてぜんぜんゆっくりできなかったそうだ。正月に取材しているマスコミのヒトも大変だと思うが、この唯一の正月らしさ(だらだらした日々)を奪われてしまったこの人は、すごくかわそうである。だらだらだぶん…

    TOP

 だらだらぶん1
  正月について正直に1 

  • 【2001年1月4日ぶん】 今日は仕事始めの日だ。と言っても、実質仕事が始まるのは明日からなので、会社は休むことにした。こっちの方を先に始めることにする。ってなんだかえらそうな書き出しだ。これも正月だからか…。なんでも初めってのは、ちょっとえらそうになるもんである。最初くらいきっぱりとした態度を示さないとあとあと崩れていきようがないじゃないか。ということだと思う。何でもそうだ。特に21世紀だから。ってこともあると思う。やっぱり一応そういう気分にはなる。キモチを新たに。ってふうに誰でも思う。
    なのにやられてしまった…。日テレに、である。ご存じの方も多いと思うが、日テレの年越しカウントダウンはとんでもなかった。なんと時計が1分狂っていた。1分早かったんである。ウソだろ…いや、ホントのことだ。
    うちの家族はそのとき、ちゃんとテレビの前に正座して、画面のCGのアナログ時計の秒針が0時0分0秒を刻むのを見つめていた。この時計って新しいんだか古いんだかわかんないね。ちょっと前まではこういうときは一番『未来に見える』時計を出してたもんだ。まあそれがデジタル時計だったりしたんだが…しかしデジタルはやっぱり『流れ』が見えないからさ。やっぱり時計は針が回ってないとね。なんていう歴史があったものだ。21世紀を迎えるという、こんな未来っぽいときにこんな時計か?やっぱり今は未来を誰も描けなくなってるんだよね。なんて思っていたら「ピン」あけましておめでとうございます。いやあ、ついに21世紀か…なんだ、むかえてみればなんてことはなかったね。それでもやっぱりキモチが引き締まるものがあるなあ…ちょっと他のチャンネルも見てみる?「ピッ」あれ?「さあ、いよいよあと30秒で20世紀とも…」あれあれ?おいおい、この局ちょっとおかしいぞ。他は?あれ?桑田圭祐もやっぱり20世紀にいる…で、でんわ。「ピッピッ…ただいまより、11時59分40秒をお知らせしま…」お、おいっ、せ、正座…「ピーン」あけましておめでとうございますうー…。
    テレビの長い歴史の中で、こんなことがかつてあっただろうか…。これって大問題じゃん。都はるみのことをミソラって言ってクビになったヒトがいたけど、そんなんよりぜんぜん大問題でしょ。ねえ…。だけどぜんぜん問題になんなかったね。たしかに昔みたいに大晦日のテレビは神聖なものじゃなくなっちゃったけど。とりあえず我が家の21世紀は、こうやって腰砕けで始まったんだった。だらだらだぶん(←昔話のおしまいの『どっとはらい』のイメージ。最後の『ぶん』のところを上げて読むのがコツ)

    TOP

 

satopix_special