パン喰い競争

 

その日の仕事が深夜までおよぶことは、ほぼ決定的でした。

シーンとした中でなんてこともなく時間だけが流れてゆく。そんなとき、ひとりのオトコがぽつりと言いました。

 

「さとさん、食パン一枚、1分で食べられます?」

「え、そんなの楽勝じゃん」

食パンですよ。一枚ですよ。こう見えても(見たとおりか…)けっこう食べる方だし、食べるのは早いです。それにしてもパン1枚なんて、へんなことを言うなあ。そしたら彼はこう続けました。

「じゃ、賭けましょうか。1万円」

い、いちまんえーん!?なんなんだ、こいつのこの自信は。金がありあまっているのか。と、ちょっとたじろいでいると、

「いいですねえ。じゃあ、ぼくがコンビニ行って買ってきますよ」というやつまで現れ、あれよあれよと言う間に舞台は整ってしまったのです。

「条件はこうです。食パンは6枚切りのやつ。(ちょっと厚め)水は飲まない。スタート前にちぎったり丸めたりするのは、いっさい…OK」

え、いいのか。なんだ、そうすると作戦としては「みみ」だな。しろいとこは問題ないとして

「みみを先に食べるか後にするか。ポイントはここだよね」

「うーん、そうですね。ははは。じゃあ、始めましょう。よーい、スタート!」

 

どうですか?ここまでのハナシで、ホントのポイントはどこだと思います?そうです。水です。

ボクの作戦は、とにかく先に「みみ」さえこなしてしまえば、あとはなんとかなる。でした。しかし、ひとかたまりのみみをくちにいれたとたん、口の中と、アタマの中が真っ白になりました。

口の中は、一瞬にしてパンに水分をとられ、からからになりました。だ、唾液が、ない。噛まないで飲み込む作戦が、かまないと唾液が出てこないのです。スポンジに水がすいこまれる、あの感覚。

「だ、だめだ… の、のどに行かない…」

想像と現実のギャップが行動をむちゃくちゃにします。手だけは予定どおりパンのかけらを次から次へと口に持っていこうとします。ちょ、ちょっとまて。まだ先がつかえて…

「30秒経過」

半分すぎて、まだ「みみ」がたっぷり残っています。と、とにかく全部口の中へ入れて、いっきに…だめだあー…

 

負けました。みごとに。完敗です。

「ね。けっこうむずかしいでしょ」

「けっこうなんてもんじゃないよ。しかし、なんか精神的なショックで全く冷静さを失った感じがしたな。口の中が砂漠になってオアシスを求めてさまよってる感じだった」

「ぼくもね、前にやられたんですよ」くそー!そうか。よしわかった。そのとき、ボクの上司が帰ってきました。しめしめ。

「wさん。食パン1枚、1分でたべられます?」

 

よーい、スタート!しかし彼はただ者ではありませんでした。あ、いま精神的ショックをうけている!しかし、彼は飲み込むのです。おおーっ。手が、ふるえている。50秒経過…まだだいぶん残っている。あ、残り全部口に入れた。の、飲んだ。

「時間です」言った瞬間と、彼がカラになった口をがばっと広げて見せたのは全く同時でした。そのときの彼の誇らしげな表情を、ボクは一生忘れないでしょう。(そんなおおげさな)

 

そして、ボクは、その日2万円、失ったのです。

 

教訓1:ギャンブルには向いていないぞオレは。

教訓2:ヒトはパンのみで生きるものにあらず。ばかやろーっ

(97.11.1)